こんにちは!
今回は和歌山の紹介、第一弾!
世界遺産になって今年で16周年を迎える「紀伊山地 霊場と参詣道」。
その中から、九度山町から高野山までの表参道『町石道』を歩きましたので、ご紹介します。
基本情報
町石道とは、弘法大師が歩いたとされる九度山町にある慈尊院から高野山の根本大東や金堂の中門までの道のり。総距離約21km、8時間ほど歩きました。
途中には、180町の五輪塔が1町(109m)ごとに建っていて、慈尊院と丹生官省符神社の間から続いて彫られている数字が高野山へ近づくごとに数が減っていきます。
途中には4kmごとに里石、弘法大師の伝承を伝える石(袈裟掛石、押上石、鏡石)や案内の石、銭つぼ石、二ツ鳥居などの歴史的な見どころ(古くは文永の文字が彫られている)があり、山道でもあるので、見晴しが良い景色や森林の深いところなど見どころや歴史に触れる機会がたくさんあります。
歩く道は、上り下りはあるものの話ながらでも歩けます。一部急な上りがありますが、危険というほどではなく、長時間歩けるよう急ぐようなペースにならないよう、体と相談しながら歩いてください。山用のストックがあると足や腰の負担が軽減できます。
歩いてみる
慈尊院
朝8:00に道の駅柿の郷くどやまからのスタートです。
まずは、慈尊院へ向けて九度山の住宅を抜けていきます。
途中にある赤い欄干の小さな橋を渡り、俗界から聖域となる霊場の深層へと続いていきます。
慈尊院は、高野山の玄関口として弥勒菩薩が祀られている場所で、道中の安全祈願をする地となります。
門をくぐれば、目の前に赤が映える多宝塔、門をくぐって左手にある国宝の弥勒菩薩が鎮座している弥勒堂でお参りして中庭へとつづく広い敷地が広がります。その中央には高野山へのたどる道を示した絵がありますので、チェックしてみてください。
丹生官省符神社
慈尊院の門をくぐってから真正面に延びる階段をのぼると、そこにあるのが丹生官省符神社。
割と傾斜がきつめの階段をのぼり、いよいよ町石道が始まる予感を思わせてくれます。
のぼり始めからぱらぱらと落ちている杉の実、昔の人は一つ一つをひもに通して数珠にしていたのだとか。町石(卒塔婆)は、180のひとつひとつにお参りし穢れや罪を祓っていったそうです。
その町石のひとつめが階段の途中、中腹左手にあります。あまりに違和感なく佇んでいて、石の鳥居のインパクトが強いので見落としがちです。
丹生官省符神社は、弘法大師が高野山を開創に至った報謝として開かれました。
丹生・高野・厳島・気比の四所明神のお社になっていて、綺麗な装飾がされています。
慈尊院・丹生官省符神社は、感じる雰囲気というか触れる空気というか写真やことばでは伝えられない体感ができますので、2社をお参りするだけでもたくさんの物を味わうことができます。
179町石~六本杉
丹生官省符神社を後にしてすぐに179町石があり、少し開けた十字路右手に勝利寺と公衆トイレがあります。ここのトイレを逃すと次は3時間近く歩いた先になります。
勝利寺は、プロ野球の監督さんやスポーツに関連する方がよく参るお寺のようです。歴史は慈尊院より古く建立され、厄除けとして参詣者が訪れる場所でもあります。お社までの階段は急です。
歩みを進めていくと、竹林、柿畑の中、いくつかの生活道をまたぎ、そこまで急ではないながらに坂を徐々に上っていく感じです。路面はほぼ舗装路。
166町付近にある展望台は、紀の川を中心に北に和泉山脈、西に奈良方面に向けての眺望が広がります。
下を覗けば、慈尊院から1時間歩いた道が望めます。パノラマに空も広く、小休憩には打ってつけの景色です。
先に進んでほどなく、舗装路から山道へと変わり、いよいよ自然だけの環境へ身を置くことになります。
道しるべとなる町石が1つ、また1つと歩みと共に過ぎては、刻まれている数字が減っていきます。
前後左右に竹や杉などの緑に覆われ、さまざまな表情をみせてくれて全く飽きません。
雨引山の分岐を越え、148町石を過ぎてすぐにお地蔵さんが佇む休憩場所で小休止。
歩き始めて1時間40分ほどの場所で、小腹を満たすために九度山駅で購入したおむすびを口にします。おいしかった!
先に進むとすぐに、町石が2つ。
町石と1里石。36町石ごとに里石があり、4キロ歩いたことになります。
町石って大きいですよね。これを800年以上前に建てていたのが本当に信じられない。石を削って(兵庫県からと言われている)、形にして(1つの石から形づくられている)、運ぶ。どれだけの時間と労力が掛かっているかを思うだけでも凄味があります。
1つ建てるのに、今の紙幣価値で言うと1億2億とも言われているそうです。そして、建てる位置にも意味があり、平安時代の人たちの権力や財力によって配置が決められたようです。裏にも文字が刻まれているものがあり、元の位置の数字が彫られていたりします。
見れば見るほど、知れば知るほど面白味が増し、歴史の長さも相まって様々な想像ができます。
ほどなく杉林を進むと4差路の開けた場所に出ます。
ここの六本杉から丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)と高野山大門への分かれ道になります。案内板があり分かりやすいです。出発から2時間30分。
今回は、そのまま大門方面へ。
このあたりから、周辺を囲う木々たちの緑が美しく陽が射す気持ちがいい景色に変わります。
136町石~2里石
木漏れ日を浴び歩みを進め、分岐する古峠へ。
平坦な道が続き、歩みを進めるごとに太陽の光が強くなっていくように感じます。
そして徐々に上りになったと思うと急に視界が開け、122町石を過ぎてすぐの展望台に到着。トイレの案内板がありましたが、確認していません。出発してから3時間。
丹生都比売神社がある天野方面が望める展望。そして、先の道を見れば二ツ鳥居。
山深いところに、よく運んできたなぁと改めて思わせてくれます。350年以上前に建てられたもので、よく見ると分割したものを組んで作られているのがわかります。
二ツ鳥居は、丹生都比売神社の鳥居だそう。神社に向かって鳥居が2つ佇んでいます。分岐があり、ここからも丹生都比売神社へ行けます。
この先から少し下っていきます。そして、少し鬱蒼とした雰囲気に急に変わります。
暗がりに突然の巨岩があります。白い蛇をつついた僧がごめんなさいをした伝説があり、もしかするとまだ棲みついているかもしれません。
115町石くらいから右手に綺麗に整備されている芝がありますが、ゴルフ場です。気にしない。
大きな池を過ぎると神田地蔵堂があり、田んぼや畑が広がる里山の風景が突如飛び出します。このくらいの場所から徐々に運動不足の人が体の違和感が生じはじめます。
町石道から少し離れたところにトイレがあり、ガイドさん曰く町石道の中で一番きれいなトイレだそうです。
開けた場所から、またうす暗い山道へ入るとすぐに2里石があります。
107町石~矢立
この辺りから、深い山の中に居るのを実感できるくらい深緑に染められた景色が続きます。
大きくゆるやかに下ったり上ったりをして、標高が高くなってきている感じがあまりないままに進みます。
町石も3桁から2桁になり、気持ちが軽くなるのを感じます。そしてこの辺りから道から少し離れた位置に町石がある箇所が出てきます。
ゴルフ場のすぐ脇を通る道、高圧電線が張っている箇所がある場所などを過ぎ、徐々に湿地が増えてきます。前日に雨が降った場合は足場が悪くなると思います。
笠木峠。岩が増えて、足場が岩の上だったりするところもあります。
90、80、70と数の減りが早く感じるようになり、気持ち的にすぐ3里石が来ます。
60台に入ると車道が上から見える場所や車道に沿って進んでいきます。車で高野山で来るのとまた違った雰囲気が味わえます。
60町石を過ぎれば交差点に出てきて、矢立に到着。ここで遅めの昼食。
茶屋で食事がとれますし、自動販売機があるので水分が少なくなったらここで補充。建物の裏にはベンチもあります。出発から6時間。
59町石~大門
出発してすぐに、六地蔵がいます。なぜか7体います。
ガイドさん曰く、いつの間にか増えたんよね。
どういうことでしょうか。
さらにひとこと。180ある町石を3分割して前半60、中盤60、後半60としたら、中盤が一番楽。
ほどよく心身に疲れが出ているのを感じる中で、重い一言。
それでも、ここまで来たら行くしかないと心に誓い、いきなりの急坂を登ります。
気持ちの面で折れそうなところに歩みを進めていると、雰囲気の違いを感じはじめます。
一気に、ジブリ感。巨木が立ち並び、谷が深くなり、空気が涼しく感じ、大雨によって出てきたであろう巨木の根っこ、マイナスイオンが降り注いでくれます。と同時に自然の畏怖というか、眼前の環境の壮大さがドッと押し寄せてきます。そして、疲れが吸い取られて気持ちが軽くなる感覚。
袈裟掛石の隙間をくぐり、押上石で岩に刻まれた手の型を探し、登り登って39町石過ぎの展望台に到着。出発から6時間45分
この日の天候は、予報では雨が降るのが夜になってからだったが、午前中の晴れ間から一点、午後から曇り空、39町石の展望台で小雨がパラつく展開に。山の天候は、変わりやすいです。
レインに着替えての出発。
下り、平坦、上りを繰り返しして4里石。
徐々に上りが増え、小さな川沿いを進み、30、20とカウントダウンしていくごとに気持ちが晴れていきます。
そして、12町からの急激な登り坂。
身体に限界が近づいてきたところにとどめの一発。運動不足の人の心が折れる音が聞こえました。180の町石を全て写真に収めると意気込んでいた人が撮るのを諦めていました。
蛇行して登っていく傾斜に一歩ずつ足を運んでいきます。町石で数が減っていく分いくらか気持ちが楽です。
10
9
8
と頑張って進んで、突然現れる人工物のアスファルト道路。そして
大門が目の前いっぱいにお出迎えしてくれます。
まだゴールじゃないけど、頑張りましたー!と心の中で両手を挙げて叫んでいました。
一気にこころが軽くなる。そして、7町石を見逃す。
大門をくぐり、あとは平地のラストスパート。
観光で来ている外国の方に挨拶できちゃうくらいの余裕を出しながら
6、5、4と続けて確認し、
3町石の道路に飛び出し気味を確認。
残りの2つは、金堂の敷地に埋もれるようになっているのを目視し、、、
中門。やっときた。やっとたどり着いた。というのが精いっぱい。
あとは達成感に浸る。
16時到着。
金堂と根本大塔はお勤めの時間で中は見れないながらに、もう目の前にそれらがあるだけで満足。
例年であれば雪が残る時期。真っ白の高野山はおあずけでも、こころはぽかぽかでした。
まとめ
2020年2月初旬のはじめての町石道でしたが、21キロ8時間の長丁場も環境の変化に富み、登山のような急な坂は少なく、足場はそこまで悪くなく、景色が楽しめ、雰囲気に浸り、あっという間の時間でした。
古くから様々な歴史を刻み、様々な人が歩いた道。自然の中に身を置き、自分で進む。
町石が道を示し、刻まれた数が減っていく。それをみれば体を後押してくれる。熊野古道とは異なる町石道でしかない感覚。
やはり、己の足で進み、厳しい場所も気持ちを奮い得た達成感と高揚感は体験しないと味わえない。
楽しい旅になりました。